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はじめに
Disclosure Initiativeプロジェクトは、企業にとって重要性のない(関連のない)情報ばかりが財務諸表において開示され、本来開示すべき企業特有の情報が開示されないという「開示の問題(Disclosure problem)」を解決することを目的として始まったプロジェクトです。
2022年5月のIASB会議では、2021年3月に公表されたExposure Draft: Disclosure Requirements in IFRS Standards – A pilot approach(ED)についてのコメントレターの結果が共有されました。当該EDについては、2022年2月のIASB会議において既にフィールドスタディのフィードバックが共有されており、今回はコメントレターを分析した結果が共有されました(2022年2月のIASB会議(Disclosure Initiative))。
EDでは、上記の「開示の問題」が、現在のIFRSが「特定の情報」の開示を要求する作りになっていることに一因があると考えました。そこでEDでは、開示が要求される「特定の情報」は最低限に抑え、基準毎にOverall disclosure objectiveとSpecific disclosure objectiveを設け、これらの開示目的を達成することを企業に要求することを通じて、企業自身に開示すべき情報を判断することを要求することを提案しています。
EDに対するコメント総括
フィールドスタディの結果が共有された2022年2月のIASB会議では、EDに対する関係者からの評価はmixed viewだったと思います。しかし、5月の会議においては、コメントレター回答者の大部分がEDのアプローチに反対をしていたことが明らかになりました。
コメントレター回答者の大部分は、EDのアプローチは「開示の問題」に対する解決策として有効ではない、EDのアプローチでは「開示の問題」を解決できない、と考えているようです。
回答者の多くは、「開示の問題」を解決するためには、財務諸表作成者・監査人・規制当局という財務諸表作成に関与する全ての関係者において、開示すべき情報についての適切な重要性判断を行うことが必要であり、現実としては以下のような理由から適切な重要性判断がなされておらず、したがってIFRSの開示規定がチェックリストとして用いられ「開示の問題」が生じていると分析されています。
n 開示情報についての重要性を判断すること自体に難しさが存在する。開示情報は財務諸表で認識されている会計情報とは異なり、定量的な要素がないことが多く、ある開示情報が重要なのか否かを判断すること自体が難しいケースがある(これは、ISSBが開発中のサステナビリティ開示基準においても同じ問題が生じると思われます)。
n 開示の重要性判断を適切に行おうとすると、判断プロセスやその結果の文書化、監査人や規制当局とのコミュニケーション等が必要であり、追加のコストが発生する。IFRSの開示規定をチェックリストとして用いた方が追加のコストがかからず効率的である。
n 開示情報が過少である場合に訴えられる可能性はあっても、開示情報が過多であることにより訴えられるケースはないと考えられる。監査人や規制当局への対応を考えても、開示情報の不足を指摘されるケースはあっても、開示情報の過多を指摘されるケースは少ない。
n 監査人や規制当局の立場からは、IFRSの開示規定をチェックリストとして用いる方が企業への指導等がしやすく、また上記記載の追加のコストや監査人や規制当局が負っている市場や株主に対する責任を考えると、実務で重要性判断を行うことが難しい。
IASBとしても「開示の問題」が生じる根底には上記のような問題があることは理解しており、その解決策として開示情報を企業自身に判断させることを明確に要求したEDを提案したわけなのですが、当該方法は実務では機能しない、というのが大多数の回答者の意見だったわけです。
なお、上記の財務諸表作成者・監査人・規制当局がIFRSの開示基準をチェックリストとして用いてしまう場合の弊害は、重要ではない情報までもが開示されてしまう(その結果、重要な情報が重要でない情報の中に埋もれてしまう)という点にありますが、「開示の問題」とされている中には、逆のケースつまり、IFRSの基準で明確に開示が要求されてはいないが財務諸表利用者にとっては有用であると考えられる情報が開示されていないという問題があります。EDではこの問題をOverall disclosure objectiveを満たすことを要求することにより解決しようとしたのですが、この点についても、Overall disclosure objectiveの記載があいまいで、当該開示目的を充足できているのかを判断することは実務上困難であるという意見が出されています。例えばIASBは現在サプライヤーファイナンス(リバースファクタリング)のための開示規定を新たに作ろうとしていますが、このことはIFRS第7号の金融商品の原則的な開示規定のみでは必要な開示を行わせることが困難であるということを示す例にもなっています。
プロジェクトの今後の方向性
本プロジェクトの今後の方向性ですが、EDに対する否定的な意見を受けて、軌道修正を余儀なくされると思われます。
Overall disclosure objectiveとSpecific disclosure objectiveについては、EDではこれらの開示目的を達成することを企業に要求していたわけですが、この点が実務ではうまく機能しないと言われてしまったので、今後の方向性としては、これらは企業が開示情報を判断する際の参考情報として位置づけられるのではないかと思われます(Overall disclosure objectiveとSpecific disclosure objectiveそれ自体は、財務諸表作成者が開示情報を判断するにあたって有用という肯定的な意見が多かったため)。ただしこの場合は、どういう点で現状のIFRSの開示規定と違いが生じてくるのかがわからなくなります(最近のIFRSの開示規定でも開示目的を設定しているからです)。
また、コメントレターの中には、デジタルレポーティングの影響も考慮すべきというコメントがありました。企業情報をデジタルに分析している一部の投資家にとっては、全ての企業から標準化されたデータが開示されることが重要であり、一部のデータが省略される方がかえって問題であるとの意見が出されています。デジタルレポーティングの世界では、大量の情報をデジタル技術で処理できるため、重要でない情報が大量に開示されていたとしても、それは「開示の問題」にはならないことになります。全ての財務諸表利用者がデジタルレポーティングの世界で財務諸表を見ているわけではないと思うので、開示の問題がなくなるような事態にはならないとは思いますが、この点についても今後のプロジェクトで検討がされると思われます。
上記のとおり、「開示の問題」への解決策として出されたEDですが、IASBの要求水準が高すぎる(ED は too ambitiousである)という大多数の回答を受けて、現実的な路線に軌道修正されることになりそうです。今回のコメントレターの回答は、実務上、開示情報について重要性判断をすることは難しいということを再認識させてくれる事例であったように思います。この点はISSBのサステナビリティ開示基準にもつながってくるものであり、今後の議論の行方にも注目したいと思います。