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はじめに
2022年10月のISSB会議では、9月の会議に引き続き、IFRS S1 (General Requirements for Disclosure of Sustainability-related Financial Information, 以後Draft S1)及びIFRS S2 (Climate-related Disclosures、以後Draft S2)に寄せられたコメントに対応する議論が行われました。10月の会議では、公開草案の提案が確認された事項と、公開草案からの修正が行われた事項がありますが、以下では主に、公開草案から修正が行われた事項を中心に解説していきたいと思います。
見積りの変更を行った場合における比較年度の取扱いを再検討事項に追加
Draft S1では企業が見積りの変更を行った場合に比較年度を修正再表示/比較年度における見積りの再計算を行うことを要求しています。この点に関しては、会計基準における取扱いとの相違や(IAS 8号では見積りの変更は過去を遡及修正するのではなく将来にわたって変更を反映)実務上の負荷を指摘するコメントが多かったのですが、9月のISSB会議では当該論点は再検討すべき事項には含まれていませんでした。10月の会議では、当該論点に関して、再検討事項のリストに追加することが暫定決定されました。
企業価値という単語/概念をDraft S1の目的、重要性の記述から削除
Draft S1の目的は、重大なサステナビリティ関連のリスク・機会に関する重要な情報を投資家等に提供することにより、投資家等による企業価値の判断及び資金拠出の意思決定に資することにあるとされています(Draft S1.1)。
また、Draft S1では、企業は重要な情報(material information)を開示する必要があるとされ、ある情報が重要か否かは、当該情報の省略/間違い/不明瞭化が投資家等の意思決定に影響を及ぼすか否かによるとされています(Draft S1.56)。この重要性の定義はIFRS会計基準における重要性の定義と同じですが、Draft S1.57項では重要なサステナビリティ関連財務情報は投資家による企業の企業価値評価に影響を与える洞察(insights)を提供するとされており、何が重要な情報かの判断にあたっては企業価値の考慮が必要であることが示唆されています。
企業価値(Enterprise value)とは企業全体の価値であり、資本と負債(負債から現金を除いたネットデット)の市場価値の合計とされています。IFRS会計基準及びISSB基準が想定する情報利用者は一般目的財務諸表の利用者であり、現在及び将来の株式投資家及び債権者(つまり資本と負債の投資家)ですが、当該投資家等が企業に対して有する持分(又は将来持つ可能性のある持分)が企業価値にあたるため、IFRS会計基準及びISSB基準により提供される情報が投資家等の企業価値評価に資するものである必要があることはある意味当然のこと(論理的に導かれる帰結)と考えられます。
Draft S1では、上記の点を強調し、Draft S1の目的の中に企業価値という概念を含め、重要性の判定にあたっても企業価値への考慮が示唆されていました。これは、会計情報のような認識の概念が存在しない開示だけの世界においては、企業価値の概念を持ち出さないと、開示すべき情報の選別ができず、サステナビリティ関連の情報であればなんでもかんでも開示されることになりかねないという懸念に起因していると考えられます。すなわち、ISSB基準が想定する情報利用者は投資家等であり、それ以外の他の情報利用者を想定していません。そのため、ISSB基準において開示される情報は財務諸表利用者による企業価値の評価に影響する情報であるという点を強調することにより、ISSB基準において開示される情報をそのような財務情報に限定しようとしているものと考えられます。
ただし企業価値が強調されすぎてしまうと実務では混乱が起きるという指摘がされました。例えば、投資家等がある情報を企業価値評価に含めるかどうかを企業はどうやって判断するのか、ある情報を企業価値評価に含めるか否かは投資家の投資ポリシーに依存するため投資家が異なれば異なる結果になるのではないか、ある情報が投資家等による企業価値評価に既に織り込まれている場合、当該情報は投資家等による企業価値評価に影響を与える情報といえるのか、投資家が何を重要と考えるかは社会と共に変化しうる中で、企業は投資家による重要性評価の変化をどのようにアップデートすべきかなど。
結論として、10月の会議では、企業価値という単語/概念をDraft S1の目的及び重要性の記述から削除することを暫定決定しました。ただし上記のとおり、企業価値という単語/概念が果たしていた役割が無くなることに対する懸念から、ISSBは<IRフレームワーク>における概念を持ち出してISSB基準において開示すべき情報の明確化を図ろうとしています。この点は今後の会議において議論されていく予定です。
重大な(significant)をDraft S1から削除
Draft S1において開示すべき情報は、重大(significant)なサステナビリティ関連のリスク・機会についての重要(material)な情報とされています。この「重大な(significant)」と「重要な(material)」の関連性が不明確であるという点や、あるサステナビリティ関連のリスク・機会が重大か否かをどのように判定すべきかがDraft S1では明確でないという点が指摘されていました。
この点10月のアジェンダペーパーによれば、この「重大な(significant)」と「重要な(material)」は意図的に使い分けられているとしています。つまり、「重大な(significant)」はサステナビリティ関連のリスク・機会について用いられ、「重要な(material)」は開示される情報について用いられています。そして、ISSBの説明では、サステナビリティ関連のリスク・機会の前に「重大な(significant)」を入れた理由は、全てのリスク・機会について企業に検討を求めるのではなく、企業の負荷を軽減する観点からあくまで重大なリスク・機会について開示の検討をすればよいと考えていたとのことのようです。
10月の会議では、サステナビリティ関連のリスク・機会の前に付されていた「重大な(significant)」を削除することを暫定決定しました。結局のところ開示すべき情報は「重要な(material)」情報であり、「重大な(significant)」が無くなったとしても、影響はないという判断のようです。ただしこの点、個人的には、「重大ではないリスク・機会だが重要な情報」が存在する場合、当該情報が開示対象か否かはDraft S1からは明確ではないように思います。つまりDraft S1が、重大なリスク・機会の特定という1stステップと当該特定された重大なリスク・機会について重要な情報を特定することを2ndステップとして要求していたとした場合、今回の「重大な(significant)」の削除により、当初の意図よりも企業の検討・開示範囲は広がることになると思われます。
スコープ3 GHG排出量の開示にあたっての軽減措置
10月の会議において、スコープ3 GHG排出量について開示を要求することが再確認されると共に、バリューチェーンから十分なデータが取得できない場合、企業は何らかの見積りを行う必要がある(十分なデータが取得できなくてもそのこと自体は見積りをしないことを正当化しない)ことが確認されました。
ただし、スコープ3データの入手可能性/データの質を考慮して、以下のような軽減措置を今後検討するとしています。
n スコープ3の開示の適用時期を、S2の他の規定よりも遅らせる。
n 不確実性のあるスコープ3の開示によって企業が不当な不利益を受けないよう、規制当局がセーフハーバールール(開示された情報が結果として間違っていたことが判明したとしても、一定の条件下、企業は責任を取らされない)を設けることをISSBが働きかける。
n スコープ3の開示についての適用指針をISSBが作成する。
n スコープ3のデータの質について階層を設定する(IFRS 13号におけるレベル1, 2, 3に類似のデータの質を判別する階層を設定する)。
n スコープ3に含めるバリューチェーンの範囲を変更する必要がある場合についてのガイダンスを作成する
n スコープ3に含まれる企業の報告年度が異なる場合についてのガイダンスを作成する。
n 2022年9月に議論されたISSB基準の適用の困難性を緩和するための方針に基づけばスコープ3の開示は複雑な定量的な情報の開示に該当するため、上記以外の緩和措置も検討する。
なお、スコープ3の開示に限りませんが、企業がスコープ1, 2, 3のGHG排出量を測定する際に使用する測定基準としてはGHG Protocolが要求されていますが、10月の会議において、以下の状況においてはGHG Protocol以外の測定基準を使用することも認めることが暫定決定されています。
n 企業が既にGHG Protocol以外の測定基準を使用している場合:限定的な年数に限り、継続して当該GHG Protocol以外の測定基準を使用することを認める。
n 企業が規制当局や市場からGHG Protocol以外の測定基準を使用することを要求されている場合:当該要求が続く限り、GHG Protocol以外の測定基準を使用することを認める。
他の基準設定主体との相互適用可能性の推進
ISSBはIFRSサステナビリティ開示基準をサステナビリティ開示のグローバルベースラインにしようと考えており、他の基準設定主体(EFRAGやUS SEC)とも連携を強化しています。これに関連して10月の会議では、IFRSサステナビリティ開示基準の重要な概念について再確認が行われました。中でも、IFRSサステナビリティ開示基準が目指すグローバルベースラインの意味するものとして、IFRSサステナビリティ開示基準の情報利用者は投資家等であり、投資家等以外を利用者とする他のサステナビリティ関連情報と一緒に開示することは可能ではあるものの、そのことによってIFRSサステナビリティ開示基準により開示される情報が不明瞭になってはならないという点は上記の企業価値という単語/概念のDraft S1からの削除に関連して重要と思われます。
気候変動開示(Draft S2)においてインダストリー別開示として要求(mandatory)されていたSASB基準の適用を任意(non-mandatory)に緩和
SASB基準はDraft S1及びDraft S2において以下の点で重要な役割を担っています。
n Draft S1:特定のサステナビリティ開示基準が無い場合において(例えば、現時点においては気候変動以外の開示基準はありません)、SASB基準における「Disclosure topics」を参照し、企業が開示すべきサステナビリティ関連のリスク・機会(現時点においては、気候変動以外のサステナビリティ関連のリスク・機会)を特定する。
n Draft S2:Draft S2のAppendix BはSASB基準をもとに作成されており、気候変動に関する指標及び目標のセクションにおいては、企業が属する産業についてAppendix Bが規定する「指標」の開示が要求される。
10月の会議では、Draft S1/S2に対するフィードバックと共に、SASB基準の今後の取扱いが議論されました。SASB基準はインダストリー別にサステナビリティ開示基準を規定しているのが他の基準にはない特徴で、情報の利用者を投資家に設定している点でISSB基準との親和性もあります。現時点におけるSASB基準の適用企業2,336社で、そのうち41%を米国企業が占めています。SASB基準の開発主体であるValue Reporting Foundationは2022年8月にIFRS Foundationに統合されたことにより、SASB基準の今後の開発はISSBが担っていくことになります。サステナビリティ開示基準のグローバルベースラインを目指すISSBにとっては、既に世界的に適用されかつインダストリー別に開示情報の比較可能性を担保することができるSASB基準をISSB基準の中に取り込むことは必須と考えているようです。
ただしSASB基準は米国における産業構造を前提に米国で開発された基準であるため、SASB基準を現時点において全世界的に適用することに対しては懸念も表明されていました。
このような懸念に対応するため10月の会議では、SASB基準をグローバルに適用できる基準にするというISSBのコミットメントが再確認されるとともに、当面の対応としては気候変動開示(S2)のAppendix Bの適用は企業の任意にするという暫定決定が行われました。ただし暫定決定ではS2は依然としてインダストリー別開示を要求するとしているため、実務における運用としては、企業はAppendix Bを参考にしてインダストリー別開示を行う必要があるものの、Appendix Bに完全に準拠して情報を開示する必要はないということになるのではないかと思われます。10月の会議で示されたワークプランによれば、ISSBは2025年にはAppendix BをISSB基準に「格上げ」する(Appendix Bの適用を企業に要求する)ことを目指しており、それまでの過渡期においては実務におけるインダストリー別開示の適用状況を注視しつつ、SASB基準をグローバルに適用するために必要な修正を行っていくとしています。
上記のとおり、Draft S2におけるAppendix Bの取扱いについては要求が緩和される方向で暫定決定されましたが、Draft S1におけるSASB基準の取扱いは今後のISSB会議で議論される予定です。
Draft S1/S2最終化後のISSBのプラン
ISSBはDraft S1/S2を最終化した後は、気候変動以外のサステナビリティ関連の論点についての基準開発を予定していますが、次にどの論点に注力すべきかは関係者からの意見を踏まえて決定することになっています(アジェンダコンサルテーション)。気候変動以外にどのような論点が候補に挙がっているかは2022年7月のISSB会議で議論されたため興味のある方は7月のISSB会議のアジェンダペーパーを参照ください。
10月の会議では、当該アジェンダコンサルテーションの今後のプランについて、前回の議論から軌道修正することが提案されました。具体的には、Draft S1/S2を最終化した後は他のサステナビリティ開示基準の開発に移るのではなく、企業がIFRS S1/S2を適用するにあたってのサポート(適用指針や設例の作成等)やSASB基準のグローバル化、IASBとISSB間の連携や他のサステナビリティ関連基準の開発主体との相互適用可能性の推進、気候変動開示基準(IFRS S2)についての継続的なアウトリーチ等、すでに存在している目の前の論点/問題の解決に優先してリソースを割くべきであることが提案され、承認されました。結果として、アジェンダコンサルテーションのための情報提供(Request for information)は2023年の上半期に行わることになり、他の基準の開発は当初予定よりも遅れることになると思われます。