はじめに

2023年1月のISSB会議ではIFRS基準との関連性/結合性を認識させる議論が多くありました。例えばIAS1号にある判断や見積りの開示の導入、IFRS9/IFRS17号にある過度なコストや労力を掛けずに期末日時点で利用可能な合理的で裏付け可能な情報という概念の導入、リスク・機会の現在及び将来の財務諸表への影響の開示などです。以下、長文になりますが、各論点のポイントを解説していきます。

 S1単独又はS1/S2共通の論点

 「指標と目標」セクションにおける目的の記載の明確化

 S1/S2TCFD4つの柱(「Governance」「Strategy」「Risk Management」「Metrics and Targets」)に沿った開示を要求しています。今月の会議において、「Governance」「Strategy」「Risk Management」及び「Metrics and Targets」のうちのTargetについては、企業の現状のアプローチやプロセス等を開示することで足り、IFRSサステナビリティ開示基準は企業がどう運営されるべきかを要求するものではないこと(例えば企業に気候変動リスクを管理するガバナンスがないのであればガバナンスが無いと開示すれば、投資家にどう受け止められるかは別として、IFRSサステナビリティ開示基準への準拠性は確保される)、一方で「Metrics and Targets」のうちのMetricsについては企業が実際に使用しているMetricsの他、ISSBが特定したMetricsの開示が要求されることが明確化されました。これは特定の指標については、それを開示することが投資家への有用な情報提供になるとISSBが考えているためで、例えばDraft S2におけるクロスインダストリーの開示(GHG排出量等)がこれに該当します(結果として、例えば、今までGHG排出量を測定していない企業については、新たにこれを測定して開示することが要求される)。結論として、指標の開示については以下の通り整理できます。

n  企業がリスク・機会の測定、モニター、管理に使用している指標については開示が必要(たとえISSB基準で開示が要求されていなかったとしても企業が使用している指標は開示が必要)

n  ISSB基準で開示が要求されている指標については開示が必要(たとえ企業が使用していない指標であっても開示が必要)

 上記の取扱いはDraft S1/S2の「指標と目標」セクションの全体を通して読むと明確ではありましたが、「指標と目標」セクションの目的の説明が上記の点を適切に反映していないのではないかというコメントを受け、当該目的の記述を明確化することが暫定決定されました。

 判断、仮定及び見積りについての開示要求

 Draft S1に対する関係者からのコメントとして、企業がどのような前提に基づきIFRSサステナビリティ財務情報を作成したのか(企業が用いた判断、仮定及び見積り)を企業は開示すべきというコメントが寄せられていました。企業が用いたこれらの前提を理解することができれば情報利用者は企業が作成したIFRSサステナビリティ財務情報をより正しく理解することができるからです。今月の会議では、これらの判断、仮定及び見積りについていくつかの暫定決定が行われています。

項目

内容

IAS1号と整合的な開示(重要な判断についての開示、見積りの不確実性についての開示)を導入

 

IFRSサステナビリティ開示基準を適用するにあたっては、企業による重要な判断が必要となる場面がありますが、Draft S1には企業による重要な判断について開示を要求する規定はありませんでした。そこで今月の会議において、IAS1.122と整合的な規定を導入することが暫定決定されました。すなわち企業は、企業が行った判断のうち開示情報に最も重大な影響を与えている判断を開示することが要求されることになりました。企業が判断を行う場面としては、以下のような状況が考えられます。

n  サステナビリティ関連のリスク・機会の特定

n  特定のIFRSサステナビリティ開示基準が無い場合における、リスク・機会の特定と開示情報の特定のための他のリソース(SASB基準等)の検討及び適用

n  インダストリー開示をする際におけるインダストリーの特定(SASB基準の中のどのインダストリーを特定したか等)

n  開示情報を決めるにあたっての重要性判断

 またIAS1号では、上述の企業が行った重要な判断の開示とは別に、見積りの不確実性が存在することにより期末の資産・負債が翌年度において重要な調整が行われる可能性がある場合における見積りの不確実性の開示が要求されています(IAS1.125-129)。この点、Draft S1では当該見積りの不確実性の開示は指標の測定という文脈(指標を測定する際に重要な見積りの不確実性がある)でのみ規定されていました。当該規定では、重要な不確実性が存在している指標は何か、見積りの不確実性が何から生じているか、不確実性に影響を与える要因は何かを開示するとされています。

 今月の暫定決定では、当該見積りの不確実性の開示は指標の測定の場面だけではなく、①リスク・機会が企業の現在及び将来の財務諸表(B/SP/LCF)に及ぼす影響を開示する際や②(IAS1.125と同様に)リスク・機会の不確実性により期末の資産・負債が翌年度に重要な調整が生じる可能性がある際にも適用されることが明確化されました。ただし当該②についてはIAS1.125と同様の規定であるため、企業はIFRS財務諸表における開示をリファーすることによって開示を代替することも可能です(ただしリファーの要件を満たすことが必要)。

企業が参照した他のリソース、及び企業が属すると判断した産業を開示

 

特定のIFRSサステナビリティ開示基準が無い場合における他のリソースを参照する際の取扱いがDraft S1から変更されたことに伴い(SASB基準を参照することが要求されることに変更はないものの、それ以外のリソースの参照は任意に変更された)、企業が参照した他のリソースは何か、企業が属すると判断したインダストリーは何か、を開示することが暫定決定されました。

IFRSサステナビリティ財務情報作成時に使用する財務データ及び仮定と財務諸表作成時に使用する財務データ及び仮定の整合性の明確化

 

Draft S1では、企業がIFRSサステナビリティ財務情報を作成する際に使用する財務データ及び仮定は、企業が財務諸表を作成する際に使用する財務データ及び仮定と可能な限り整合的でなければならないとされています。この可能な限り(to the extent possible)というのが何を意味しているのか明確化が必要であるというコメントが寄せられていました。また、両者で使用するデータや仮定が異なる場合はその差異の内容について開示されるべきというコメントも寄せられていました。

 今月の会議において、ここでの可能な限りというのはIFRS(や他の会計基準)の要求事項を考慮したうえで可能な限り整合的という意味であることが明確化されました。すなわち、会計基準の要求事項によってはIFRSサステナビリティ財務情報で開示される情報と財務諸表で開示される情報が異なるケースが有り得ます。理想的には、企業が作成するIFRSサステナビリティ財務情報と財務諸表は整合的なデータや仮定に基づいて作成される必要がありますが、財務諸表は特定の認識と測定の基準を有しているため、両者で差異が生じる可能性があるというわけです。スタッフペーパーには以下の例が記載されています。

n  財務諸表における固定資産の耐用年数は、IFRSサステナビリティ財務情報で開示される(気候関連)移行計画で開示される当該資産の使用年数と整合的であるべきである。

n  IFRSサステナビリティ財務情報では企業が予定するリストラクチャリングプランが開示されていたとしても、財務諸表では未だIAS37号の推定的債務の要件を満たさないということで引当金が計上されないケースが考えられる。

n  気候関連のシナリオ分析をする際にはいくつもの財務データや仮定を用いているが、IAS36号の固定資産の減損テストを行う際には上記の財務データや仮定のうち一部のみを用いている。

 また、関係者からのコメントを受け、IFRSサステナビリティ財務情報を作成する際の財務データや仮定と財務諸表を作成する際の財務データや仮定に重要な差異が生じている場合は、企業は当該重要な差異の内容を説明する必要があることが暫定決定されました。

判断、仮定及び見積りの開示についてのガイダンスの提供

 

上記の他、企業が判断、仮定及び見積りについて開示をする際に参考となるガイダンスを提供することも暫定決定されました。当該ガイダンスは、illustrative guidanceに含まれる例示とeducational materialが予定されています。

 IFRS9/IFRS17で適用されている「過度なコストや労力を掛けずに期末日時点で利用可能な合理的で裏付け可能な情報」の導入

Draft S1/S2に対する関係者からのコメントに共通するものとして、不確実性が高い開示要求にどのように対応すべきかというものがありました。

 今月の会議では、このような不確実性の高い開示要求への対応策として、IFRS9/IFRS17で既に適用されている「過度なコストや労力を掛けずに期末日時点で利用可能な合理的で裏付け可能な情報」の概念を導入することが暫定決定されました。

 IFRS9号では、金融資産に含まれる信用リスクに起因する貸倒引当金の算定において過去、現在及び将来についての情報を利用して確率加重平均法に基づき予想信用損失を算定することが求められており、企業は将来に関しての見積りが要求され、その測定には不確実性が伴うことになります。ただし信用リスクの程度は企業により異なるため(信用リスクを負うことを業としている銀行と結果として得意先の信用リスクを負う一般企業とでは信用リスクに対するエクスポージャーや重要性、管理方法が異なる)、IFRS9号では、当該予想信用損失の測定にあたっては、過度なコストや労力を掛けずに期末日時点で利用可能な合理的で裏付け可能な情報を用いるとしています。このことにより企業は、企業が置かれている個別の状況に応じた情報の利用(取得)が求められることになります。例えば銀行は積極的に貸出先の信用リスク情報を取得することが求められ重要な貸出先であればその信用リスク情報を取得することが過度な負担とみなされることはないと考えられます。一方で、一般企業に対して銀行と同じ程度の信用リスク情報を取得するように要求することは過度な負担に該当すると考えられます。

 今月の会議では、以下の特定の状況下において、企業は過度なコストや労力を掛けずに期末日時点で利用可能な合理的で裏付け可能な情報を用いて、これら特定の開示情報を策定することが暫定決定されました。これら特定された状況はいずれも開示の不確実性が高いもしくは利用すべき情報に幅がある状況と考えられます。

 n  サステナビリティ関連及び気候関連のリスク・機会の特定(S1/S2

n  バリューチェーン関連規定への適用、具体的には

i)                   バリューチェーンのスコープの決定(S1/S2

ii)                 スコープ3 GHG排出量の測定(S2

n  リスク・機会が企業の将来の財務諸表に与える影響の算定(S1/S2

n  気候変動に関するシナリオ分析(S2

n  Draft S2におけるクロスインダストリー開示における以下の指標の算定(S2

i)                   移行リスクにさらされている資産又はビジネス活動の金額及び割合

ii)                 物理的リスクにさらされている資産又はビジネス活動の金額及び割合

iii)               気候関連の機会に関連する資産又はビジネス活動の金額及び割合

 スタッフペーパーでは、「過度なコストや労力を掛けずに期末日時点で利用可能な合理的で裏付け可能な情報」概念の導入は、リソースが不足している企業がIFRSサステナビリティ開示基準に遵守することをサポートするとしています。当該概念は、過度なコストや労力を掛ける必要はないと言っておりそのこと自体は作成者の負担を軽減するものと読めますが、何が過度なコストや労力に該当するかは企業の置かれている状況により異なるため注意が必要と思われます(例えば先ほどの例でいえば、銀行が重要な貸出先の信用リスク情報を取得することは過度な負担に該当するとは考えられず、リソースが不足しているという言い訳は通らないと考えられます)。また、当該概念は、上記の特定の状況下においてのみ適用されるとされており、Draft S1/S2の開示情報を作成する際に全般的に適用されるわけではないという点も留意が必要と思います。

 一定の条件を満たす場合、機会に関連する機密情報は開示を免除

 Draft S1では、サステナビリティ関連のリスク・機会についての重要な情報(material information)の開示が要求されています。Draft S1では、企業が置かれている国又は規制により開示が禁止されている情報を開示する必要はないという規定はありますが、機会に関連する機密情報を開示しなくてよいとする規定はありませんでした。関係者からは、機会についての機密情報についてまで開示が要求されることに対する懸念が表明されていました。また、SECが提案中の気候変動に関する開示案では、気候変動に関するリスクについてのみ開示が要求され、気候変動に関する機会についての開示は要求されていません(企業の任意で開示することは可能とされている)。また、IFRS基準の中にも、例えばIAS37号では非常に稀なケースにおいて企業がIAS37号に従った情報を開示することが企業の関与している他社との係争についての企業のポジションを著しく悪化させる場合それらの情報を開示しなくてよいという規定があります。またIFRS7号でも結論の背景において企業の機密情報に該当するものは開示しなくてよいとされています。

 上記を踏まえ、今月の会議では、以下の全ての要件を満たす場合は、企業は機会に関する機密情報を開示しなくてよいとする暫定決定がされました。

n  当該情報を開示しないとする特定の理由を有している。すなわち当該情報を公開しないことが企業に競争優位をもたらし経済的便益を提供する。

n  当該情報を開示する場合、企業がもしそれを開示していなければ実現できたであろう経済的便益を著しく悪化させることが予想される。

n  機密情報を開示することの懸念を解決させるような方法でもしくは当該情報をより大局的な視点から開示をすることが不可能であると判断している。

 なお、上記の要件を満たすことにより機会についての機密情報を開示しない場合は当該免除規定を適用している旨を開示することが求められます。また上記の要件を満たしているかは毎期末に再判定することが必要とされました。さらに、ISSBは以下の点についても付け加えています。

n  当該免除規定は、既に公開されている情報に対しては適用されない。

n  当該免除規定は、機会についての情報を広く開示しないことの言い訳にすることはできない。

n  当該免除規定は、あくまで機会についての情報に適用され、リスクについての情報には適用されない。

 当該免除規定が適用される特定の状況についての理解を深める目的で、スタッフペーパーでは以下の例示がされています。

n  Example 1:太陽電池のみで可動するモバイルデバイスを開発している企業が、当該免除規定を適用するケース

n  Example 2A:電気自動車マーケットに参入することを決定した自動車会社が、当該免除規定の要件に該当しないケース

n  Example 2BExample 2Aの自動車会社が、電気自動車で使用予定のリサイクル可能な電池を開発し、当該免除規定を適用するケース

n  Example 3:採掘場所の移動を検討している採掘企業―機会に関する機密情報がリスクと結びついているため、リスクについて開示が要求され、機会については機密情報とならないよう大局的な視点から開示する(大局的な視点からの開示では開示目的を達成できないと判断される場合は、たとえ機密情報であってもこれを開示する)。

 リスク・機会が企業の現在及び将来の財務諸表に及ぼす影響の開示及び結合された情報(connected information)についての明確化

 Draft S1/S2では、リスク・機会が企業の現在の財務諸表に及ぼしている影響、及び、将来の財務諸表に及ぼすであろう影響を開示することが求められています。当該開示は、定量的な開示(単一の金額又はレンジ)が求められており、定量的な開示が出来ない場合には定性的な開示が求められていました。また、結合された情報(Connected information)の開示規定では、企業は複数の異なるリスク・機会が互いにどのような影響を与え合っているのか、及びリスク・機会と財務諸表の結合性についての開示が求められています。

 IFRSサステナビリティ財務情報の目的は、財務諸表では補足できない投資意思決定に有用な情報(ただしサステナビリティ関連に限る)を投資家に提供することにあります。投資家の関心は、企業がさらされているサステナビリティ関連のリスク・機会がどの程度あり、企業が現在及び将来これにどのように対応して(しようと考えて)おり、企業の財務諸表が将来どのような影響を受けるのかにあるといえます。Draft S1/S2ではこの点について、リスク・機会の存在及び当該リスク・機会への企業の対応により、企業の財務諸表が将来どのように変化すると考えているのかを企業自身に開示(説明)させることを求めています。また、結合された情報(Connected information)の開示規定では、企業が開示するIFRSサステナビリティ財務情報の中において開示される情報の関連性/結合性を利用者にわかるように開示すること、及びIFRSサステナビリティ財務情報と財務諸表の関連性についての開示が求められています。

 今月の会議では、この重要な論点について、以下のとおり整理・明確化が図られました。

項目

内容

リスク・機会が企業の現在の財務諸表に与えている影響の開示

 

企業は、リスク・機会が企業の現在の(=直近の)財務諸表にどのような影響を与えているかを開示することが求められます。例えば、IFRSでは、以前、気候変動リスク・機会がIFRS財務諸表にどのような影響を与えるかについての教育的文書が公表されました。

これら情報の開示は財務諸表の中で開示することが可能であるため、すでに財務諸表の中で開示されている場合には、IFRSサステナビリティ財務情報から財務諸表へリファーをすることで足ります(ただしリファーの要件を満たすことが必要)。また、同じ内容の開示を両者でする等、不必要な重複は避ける必要があります。

見積りの不確実性が存在することにより期末の資産・負債が翌年度において重要な調整が行われる可能性がある場合における見積りの不確実性の開示

IAS1.125項に類似する規定がS1/S2にも設けられています。ただしDraft S1/S2における規定では、見積りの不確実性にフォーカスした開示要求となっていなかったため、上記「判断、仮定及び見積りについての開示要求」で説明したとおり当該Draft S1/S2の類似規定はIAS1.125と整合的な開示となるように変更されました。そして当該規定は、将来の財務諸表の影響についての開示(の一種)でもあります。

上記のとおり、IAS1.125項と同じ規定であるため、IFRSサステナビリティ財務情報から財務諸表へリファーをすることで足ります(ただしリファーの要件を満たすことが必要)。また、同じ内容の開示を両者でする等、不必要な重複は避ける必要があります。

リスク・機会が企業の将来の財務諸表に与える影響の開示

リスク・機会の存在及びそれへの対応として企業が取っている戦略により企業の将来の財務諸表(B/S, P/L, C/F)にどのような影響を与えると企業自身が考えているかを開示することが求められます。企業自身の予想を開示させることで、投資家は、企業によるリスク・機会の将来財務諸表への反映の程度を理解することができます。

同じ内容の開示を両者でする等、不必要な重複は避ける必要があります。さらに、以下の明確化により当該開示は

・特定の(個別の)リスク・機会毎に定量的/定性的な開示が求められます。

・短期、中期、長期にわたる将来財務諸表への影響をそれぞれ開示することが必要となります。

財務的影響の開示は特定の(個別の)リスク・機会ベースで行う必要があること、定量的開示が可能か否かについての判断指針、定量的開示ができない場合の開示内容の明確化

Draft S1/S2では、このリスク・機会が企業の現在及び将来のB/SP/LCFに及ぼす影響の開示は、原則として定量的な開示が要求されており、定量的な開示が出来ない場合に限り定性的な開示により行うとされていました。この点については、当該影響の開示は、定量的又は定性的というどちらか一方の開示ではなく、定量的かつ定性的な開示が最も有用であるというコメントや、定量的な情報を開示できない場合とは具体的にどのような場合が該当するのか、財務諸表への影響が複数の要因により発生しある特定の(個別の)リスク・機会による影響を算定できない場合はどうすべきかというコメントが寄せられていました。

今月の会議では、この点に関して、以下のとおり暫定決定がされています。

n  財務的影響の開示は、定量的及び定性的な情報の(すなわち両方の)開示を要求する。定量的な情報を開示することが出来ない場合は定性的な情報を開示する。

n  ある特定の(=個別の)リスク・機会による財務的影響を定量的に算出できるか否かを検討する。検討するにあたっては以下を考慮する。

ü  当該特定のリスク・機会は分離して識別可能(separately identifiable)か

ü  当該特定のリスク・機会による財務的影響を算出することに高い不確実性が伴うか

ü  (将来の財務諸表への影響を算出する場合のみ)当該財務的影響を算出するためのスキル・能力・リソースを企業は有しているか

n  ある特定の(=個別の)リスク・機会による財務的影響を定量的に算出できないと判断した場合、企業は、

ü  当該特定のリスク・機会による財務的影響を算出することができない理由を開示(説明)する。

ü  当該財務的影響を定性的に開示(説明)する。その際には、財務諸表において影響を受けると思われる勘定科目や小計の内容を開示する。

ü  当該特定のリスク・機会による財務的影響を含んだより大局的な視点からの定量的な情報を開示する。

 上記のとおり、ここでの開示は、特定の(個別の)リスク・機会レベルで行う必要があるという点が明確化されました。例えば、ディーゼル車を販売している自動車会社が将来におけるディーゼル車の販売の減少(収益の減少)を見込んでいるとします。収益の減少が脱炭素社会への移行にあたって顧客の選好の変化(リスク)により起きていることは明らかですが、販売数量の減少はそれ以外の理由からも生じ得るため、将来収益の減少のどの程度の金額が当該リスクに起因して発生しているかを分離して測定(定量化)することはできないと思われます。ISSB会議でも発言がされていましたが、上記を踏まえると、多くのケースにおいて、特定の(個別の)リスク・機会による財務的影響の定量化は困難であると思われます。

 また、財務的影響を算出するにあたっては、今月の会議で暫定決定された過度なコストや労力を掛けずに期末日時点で利用可能な合理的で裏付け可能な情報に基づいて行うことになるため、企業は過度なコストや労力を掛けてまで財務的影響を定量的に算出する必要はありません。さらに上記のとおり、財務的影響を算出するか否かを決定するにあたっては、企業が有するスキル・能力・リソースを考慮するとされているため、この点についてもリソースの少ない企業が財務的影響を定量的に算出する必要性は下がると思われます。

 ただしこのリスク・機会がもたらす企業の将来財務諸表への影響の開示は投資家にとっては非常に重要な開示と考えられるため、企業は以下については留意が必要とされました。

n  企業はこの現在及び将来の財務諸表への影響の開示を行うにあたり、判断を行う。

n  企業はより特定の(specificな)情報を提供することにより、利用者に対して有用な情報を提供する。

n  企業はこの現在及び将来の財務諸表への影響の開示を行うにあたり、その出発点としてリスク・機会の特定を行う。

リスク・機会の将来財務諸表への影響の開示は短期・中期・長期のそれぞれについて要求されることの明確化

リスク・機会が企業の将来の財務諸表に及ぼす影響は、いつの財務諸表への影響を議論するかにより開示内容が異なってくるため、Draft S1/S2では、短期・中期・長期それぞれの影響の開示を要求しています(短期・中期・長期がそれぞれ現在から何年後かは企業自身が定義し開示することが要求されます)。この点、Draft S1/S2では、記載の仕方に不統一な部分があったため(over timeという形で記載されていた)、over timeshort, medium and long termに直す暫定決定が行われました。結果として、上記のとおり将来の財務諸表への影響の開示は短期・中期・長期のそれぞれについて開示が要求されることが明確化されました。 

リスク・機会が現在及び将来の財務諸表に及ぼす影響の開示とレジリエンス分析開示の関係性の明確化

Draft S1/S2では、企業の戦略がリスク・機会の不確実性に対してどれほどの強じん性を有しているか、企業が想定しているシナリオから現実が乖離した際に企業がどの程度当該乖離に対して適用する能力を有しているかというレジリエンス分析の開示が求められています(S2では、異なる複数のシナリオの下、企業の現状の戦略の強じん性をテストするシナリオ分析が要求されています)。ここで、このレジリエンス分析の開示と上記で検討してきたリスク・機会が企業の現在及び将来の財務諸表に及ぼす影響の開示がどう関連するのかが明確でないというコメントを受け、この点について以下のとおり暫定決定がされました。

n  「レジリエンス分析」と「リスク・機会による現在及び将来の財務諸表への影響の分析」は独立して実施し得る。ただし、「レジリエンス分析」は「リスク・機会による現在及び将来の財務諸表への影響の分析」に影響を与え得る。

n  「リスク・機会による現在及び将来の財務諸表への影響の分析」を行うために「レジリエンス分析」を行うことは要求されない。

 スタッフペーパーには以下のとおり分析されています。

n  「レジリエンス分析」と「リスク・機会による現在及び将来の財務諸表への影響の分析」は別個の目的を有している。すなわち、前者は異なるシナリオ下におけるリスクや不確実性に対する企業の適用力や強じん性を情報利用者が理解するために開示されるものである。一方で後者はリスク・機会が企業の現在及び将来の財務諸表に及ぼす影響を情報利用者が理解するために開示される。

n  企業は、リスク・機会が現在及び将来の財務諸表にどのような影響を与えるのかの分析を行うにあたってシナリオ分析やレジリエンス分析をする必要はないものの、両者には関連性もある。すなわち、「レジリエンス分析」は企業の戦略に影響を与え得る。そして、企業の戦略は「リスク・機会による現在及び将来の財務諸表への影響の分析」において考慮する必要があるから、「レジリエンス分析」によって企業の戦略が変わる場合にはそれは「リスク・機会による現在及び将来の財務諸表への影響の分析」に影響することになる。すなわち、レジリエンス分析⇒戦略の変更⇒現在及び将来の財務諸表への影響へという流れが生じる。ただし、現在及び将来の財務諸表への影響を分析するにあたってレジリエンス分析は前提条件というわけではない。

 S2単独の論点

 レジリエンス分析をする際に実施するシナリオ分析についての明確化

 Draft S2では、レジリエンス分析をするにあたって企業は原則としてシナリオ分析が要求され、シナリオ分析を実施出来ない場合に他の方法による分析が要求されていました。この点、202211月のISSB会議において、TCFDガイダンスに基づき企業の状況に適合したシナリオ分析を要求することに統一されました。すなわちTCFDガイダンスにおけるシナリオ分析は、定性的な文章のみによって分析を完了させるものから複雑な統計モデルを用いるものまで幅があり、企業が各自の状況に合うシナリオ分析を行うことが最も望ましいという暫定決定がされました。当該会議においては、企業が選択すべきシナリオ分析(例えばTCFDではシナリオ分析はその複雑性に応じて「Just beginning」、「Gaining experience」、「Advanced experience」の3種類に分かれている)についてのガイダンスを作成することが合意されました。

Just beginning

Gaining experience

Advanced experience

定性的な将来のシナリオを記述することにより気候変動における企業のレジリエンスを分析評価する。分析の対象は企業全体ではなく企業の一部門であったり等、限定的である。

定量的なデータを用いてシナリオ分析を行う。シナリオ分析は企業の将来の姿を描くとともにその結果についても予想する。分析は企業全体を対象とする。

精緻なモデルを組むことにより、統計的にも説明可能な定量的シナリオ分析を行う。

 今月の会議では、この初心者用、中級者用、上級者用というような形で複雑性が異なるシナリオ分析の中から企業がどのシナリオ分析を選択すべきかについてのガイダンスが暫定決定されました。

 スタッフペーパーでは、レジリエンス分析とシナリオ分析が別物であることが強調されています。すなわち企業がシナリオ分析を行う理由(意味や目的)は、レジリエンス分析を行うためであるとしています。ここでシナリオ分析とはデータに基づくアナリティカル分析を指し、レジリエンス分析とはシナリオ分析をインプットにしてマネジメントが実施する企業の戦略的な判断や対応能力の分析・検討であるとしています。よってシナリオ分析はレジリエンス分析を実施するための最善のサポート(インプット)を提供することが目的となります。インプット(手段)とアウトプット(目的)を混同しないことが重要とされています。

 まず、上述のとおり、今月の会議において、シナリオ分析を実施するにあたっては過度なコストや労力を掛けずに期末日時点で利用可能な合理的で裏付け可能な情報に基づいて行うことが暫定決定されています。IFRS9号の予想信用損失を算定する場合と同様に気候変動リスクのシナリオ分析は将来を予想して行うものであり見積りの不確実性が高いという点で共通しています。また、当該概念を導入することにより、企業はシナリオ分析実施にあたり過度な負担をかけてまで情報を入手する必要は無くなります。

 そして、企業がシナリオ分析を選択するにあたっては、以下を考慮することが暫定決定されました。

n  企業の気候変動リスク・機会のエクスポージャーの程度

n  企業がシナリオ分析を実施するために有しているスキルや能力、リソース

 気候変動リスクが僅少である企業が先進的なシナリオ分析を行ってもその効果は限定的であること(投資家はそのような情報は求めていない)、また、気候変動リスクの高い企業であってもシナリオ分析の経験は様々であり経験の浅い企業に対して先進的なシナリオ分析を要求することは必要なコストが生み出される便益を超過することが見込まれるため過度な負担に該当すると考えられるとされています。ただしそのような気候変動リスクの高い企業は、シナリオ分析の経験を高めていくことでスキルや能力を上げていくことが期待されています。

 スコープ3 GHG排出量の測定に関して認められたバリューチェーンの測定期間が企業の報告期間と異なる場合の軽減措置をスコープ1/2にも適用

 202212月の会議において、企業のスコープ3 GHG排出量の測定に関して、バリューチェーンの測定期間と企業の報告期間が異なっていたとしても(例えば、企業の決算期が3月、バリューチェーンの決算期が12月)バリューチェーンの測定期間に基づく数値をそのまま用いることを許容する暫定決定がされました(但し一定の要件を満たす必要あり)。軽減措置の詳細な内容は12月の記事を参照ください。

 今月の会議において、当該軽減措置を企業のスコープ1/2にも同様に適用することが暫定決定されました。これは、GHGプロトコルで認められているアプローチのうちどれを選択するかによって、投資先のGHG排出量は企業にとってのスコープ1/2又は3に該当することになりアプローチの選択によって軽減措置の適用可能性が変わってしまうのは適切ではないという判断によるものです。当該免除規定は、企業にとっての全てのバリューチェーン(連結上の子会社も含む)に対して適用されます。

 企業が設定した気候関連の目標(Target)が気候関連の最新の国際的合意からどのような影響を受けているかを開示することを明確化

 Draft S2では、 企業が設定した気候関連の目標(Target)が気候関連に関する最新の国際的合意とどのように比較されるか(how the target compares with those created in the latest international agreement on climate change)を開示することが要求されていました(Draft S2.23(e))。ここで、compareという言葉を公開草案で用いていた背景(目的)として、企業の設定した気候関連の目標が気候関連に関する最新の国際的合意と整合しているか否かというYes/Noの開示ではなく、企業が設定した目標(Target)と最新の国際的合意との違いを定量的/定性的に説明させることを意図していたとされています。しかしながら、公開草案の文言では、依然としてYes/Noの開示が行われる可能性があるということで、この部分を明確化することが暫定決定されました。

 具体的には当該部分は、企業の設定した気候関連の目標(企業が目標(Target)として開示する全ての目標)が最新の国際的合意からどのような影響を受けているか、を開示することに変更されました。さらに、ここでいう国際的合意というのは、国際的合意に基づいて各国で策定されるコミットメント(Nationally Determined Contribution, NDC, 国連に提出される各国が決定する貢献)をも含むことが明確化されています。現状における日本のNDCは、2030年度に温室効果ガスを2013年度から46%削減することを目指すこと、さらに50%の高みに向け挑戦を続けることとされています。今月の暫定決定により企業は、NDCを含めた最新の国際的合意からどのような影響を受けそれらの目標(Target)を設定したのかを説明することが要求されることになります。(Yes/Noの開示ではなく)このような説明的な開示を企業に求めることにより、投資家は企業が気候変動に関する国際的合意とどの程度整合した目標を立てているのか、企業の戦略やビジネスモデルが国際的合意と逸脱するリスクの程度や逆に国際的合意を上回る意欲的な目標を立てる場合における機会の程度を評価することができると考えられます。

 なお、公開草案における同パラグラフ(Draft S2.23(e))では、企業が設定した目標が第三者によって承認されているかについても開示が要求されており、SBTi等によりGHG排出量の削減目標の承認を得ている場合にはその事実を開示することが求められています。上記の暫定決定はこの部分には影響を与えません。

 今後の予定

 Draft S1/S2に対する論点の再検討は2月の会議が最後になる予定とのことで、以後は基準の最終化の手続きに進みます。S1/S2の最終基準は20236月までの公表を目指すと言われています。